気になって仕方がない

趣味など、日々雑感メインの予定(脳へのコスト削減を重視しているので、推敲は甘めです。気にせず読んでいただけると大変うれしいです。)

「質問ないの?」恐怖症

はい、タイトルの通り、打ち合わせなんかで「何か質問ないの?」とか、終わった後に「若手なんだから、質問しておいたほうが良かったと思うけどなあ」なんて言われることがよく言われることがありました(最近は私もあまり言われなくなりましたが)。

人一倍緊張しやすいタイプなので、会議の場に縛り付けられて面と向かって人の話を注意深く聞き、気の利いた質問をする、ということが苦手です。正直また「質問ないの?」と言われるんじゃないかと思うと余計にドキドキして、話聞くどころでは無くなってしまうことが多いです。また、同じ場にいるできる人は、話の中の抜け漏れや純粋に疑問に思うことをズバリ質問できていていつもすごいなあ、自分にはできないなと感じています。

あんまりこういうことを繰り返していると、自分は病気なんじゃないか、質問できない病ってあるのかな、とか真面目に考えだしてしまいます。ちょっとググるとそれっぽいサイトもいくつか目につき、本当に病気なのかと思い始めてしまいますね。

でも、冷静に思い返してみると、いつも絶対に質問できないわけではないのです。たまには「良い質問」もできるし、その場の誰も思いつかないようなコメントができて議論の活性化に貢献できることもあります。良心的な上司に相談すると、要はトレーニングしていけばよくて、能力がないとか病気だとか思いこむ必要は無いのだと、きっぱり言われました。でもトレーニングって。。。な感じです。

自分なりに質問できているときとできないときを振り返ると、まず「できない」のではなくて「思いつかない」のだと思いました。そして、それは「質問する気が起きない」のであって、要するにその話に「興味がない」のかなと考えています。もちろん、頭の回転が良い人は人の話を聞いて、抜け漏れや矛盾に素早く気づくことに長けているとは思いますが、それ以上に「知りたい」という気持ちが強いのでしょうね。

ということで、質問するためには話に興味を持つことが重要なのだと思います。当たり前のことではありますが。だから、「質問できない病」疑惑で苦しむくらいなら、質問ができない場合は、その話が十分に自分の興味を惹かないのが悪いと思うことにしています。

でも、組織の中で生きていくにはそうもいっていられないので、学会の座長や会議の事務局のような、質問しないとまずい状況に自分はあると思って(追い込んで)当事者意識を高めるしかないと思っています。事務的な質問、相手の言っていたことの確認など、質は問わずに何か発言することでひとまず自分の中での安心感をつくることから始めていくことがトレーニングになると思います。そのためにはちょっとだけバカになってみる/演じてみることが必要ですね。そうすれば、「きっとこんな意味なんだろう」とか「~~と言っていたけど大丈夫だろう」と思って今まで聞いてこなかったことが聞けるようになりますので。